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からだと言葉を整えるとこころも調う

 

うるおう更年期美人への道・自然療法プラクティショナー、森本千佳です

 

サロンのあるマンションが外壁工事のため、昨年の12月からずっと足場とシートで覆われ、窓から見える景色が晴れない空と相まって残念な毎日です

 

それを吹き飛ばそうと、春からの楽しいことを思い浮かべて脳内を明るく保つ努力中です(笑)

 

そんな中、昨日は、「お釈迦さまの薬箱vol.5」に参加してきました

 

ご縁あって第1回目から参加していますが、1度だけ「自然療法ツアーinオーストラリア」と重なり参加できませんでしたが、毎回ご住職やそのほかのゲストのお坊さまに健やかで豊かな時間をいただいております

 

昨日の第5回目は、タイの日本人僧侶プラユキ・ナラテボー師をお迎えしてのスペシャルな回でした

 

今日は、その様子をみなさんにシェアさせていただきます

 

三つの宝

 

 

初めにいつものように本徳幸恵先生のお点前とお菓子をいただき、その後太瑞知見ご住職から佛教の歴史のダイジェスト版?を伺い最後にプラユキ先生のご講話となりました

 

今回3人いらした僧侶の方達は、みなさんご衣装が違いますが、太瑞知見ご住職の衣装は上からインド、中国、日本の様式だそうで、それがそのまま佛教の変遷でもあるのだとのこと

 

インド北部で生まれた佛教が、南に移動していき、Theravada(上座部)という教えは紀元前3世紀ごろにスリランカまで行ったそうです。

 

Theravadaは、Pali(パーリ〜)語で訳され、他には私たちが知っているものにSanskrit(サンスクリット)語がありますね

 

このパーリー語やサンスクリット語が中国で漢訳されています

 

お釈迦さまの教えが20に別れていき、そのうちの一つがTHeravada(上座部)ですが、現存するのは、この上座部と大乗のみだそうです

 

チベット語に訳された佛教はチベット密教となっていきます

 

僧侶の着る衣服や言葉は同じ佛教でもバラバラですが、共通項が一つあるそうです

 

それが、三宝

 

聖徳太子の十七条憲法にも出てくる「篤く三宝を敬え」のことですね

 

では、この三宝とは何か?

佛、法、僧の三つだそうです

 

佛とは目覚めることを現し、方とは教えを意味し、僧とはお坊さんのことですが、一人のお坊さんではなく4人以上のお坊さんの集団を言っているのだそうです

お坊さんのことは、ビクと言いますが、これは「乞う」という意味で托鉢をすることを指すのだそうです

 

15分で駆け足で佛教の基礎のきの横棒の筆を置いたところくらいを教えていただいたのでしょうか?

 

方便ではあっても解決にはならない

 

 

プラユキ先生は、タイで日本人僧侶として佛の道を歩まれている方ですが、その優しい眼差しと温かな笑顔は、ただそこにいるだけで呼吸が楽になるような癒しのエネルギーをお持ちでした

 

タイでよく聞かれる「マイペンライ」という言葉を最初に教えていただきました

英語にすれば「Never mind」で、日本語にすると「これでいいのだ」という感じなんだそうです

 

これを、約束に遅れてきた方が言うそうなのでおおらかなお国なのでしょう(日本で、遅れてきた方が言ったら、首絞められそうですよね)

 

プラユキ先生のお話しは「因縁」と言う言葉から始まりました

 

因とは、直接原因を表し、縁とは間接原因を表します

 

因と縁が合わさって、できるのが果(結果の果)であり、その先にあるのが報なのだそうです

つまり、因縁果報という言葉になります

種という因があり、太陽という縁があって、それによって実るものが果で、それがまた種(報)となる、そのように巡っているのがこの世の法則なのでしょう

 

先生は、すべてに法則性があると教えてくださいました

 

お釈迦さまは、神意論も宿命論も偶然論もすべて否定されたそうです

 

宿命論も偶然論もお分かりになると思いますが、神意論とは、「一切は神の意思によって決められているため、人間の努力などで変わるものではない」という考え方です

 

よく、「この苦しみは過去のトラウマ」とか愛されて育てられなかったから、親からひどい仕打ちを受けたから「アダルトチルドレンなんだ」とか言いますが、それらは、方便であって、解決にはならないのですね

 

方便でいっときは楽になるかもしれませんが、それは、変わることもないし苦しみから解放されることもないと先生はおっしゃいます

 

私たちは、「快」にしがみつき、「不快」からは逃げたくなり、かと言って不苦不楽だとぼーっとしてしまいます

 

何かが起きた時に、反応してしまうのが私たち

この反応とは、心のくせによる単純なリアクションのことで、反応を対応にできれば、物事はもっとシンプルなのでしょう

 

対応は、自覚的にするものだそうです

 

先ほどのように私たちは、今の苦しみの原因を自分ではない何か(過去のトラウマだったり、環境だったり、親だったり)にしがちですが、過去の文脈に囚われないで生きることが実は大切なのだと教えていただきました

いま決めればそこから生きることができる

 

人のせいでも外部のせいでも私のせいでもない、では何のせい?

それは、無明のせいだそうです

 

無明とは何か?

無明とはわからないことだそうです

無が消えて明るくなれば(気づけば)苦しみがすべて消えるのだそうです

 

まずは、自分の心の動きを細やかに見るために心を静かにする、その訓練が私たちには必要でしょうか?

 

苦しみとは、何だと思いますか?

それは、思い通りにならないこと

でも、何もかも思い通りになったら、何もなくなりすべてがバーチャルの世界のようになってしまう

思い通りにならないからこど生きている感じがするものだと…

だから、実は、苦しみにハマることが問題なのですね

 

気づいて手放していく

 

 

その後、手動瞑想という私にとっては初めての瞑想を教えていただきました

しかも開眼瞑想です!

眠くなったらどうしようと心配だったのですが、これなら眠らずに済む!

しかし、その効果たるや、すごいものでした

 

凡人の私は、すぐ考え事をしてしまいますが、手動瞑想だと「今ここ」に戻りやすいです

気づいたら戻る、それで良いのだそうです

まずは、気づくこと!

 

瞑想後は、プラユキ先生と太瑞知見ご住職の対談でした

 

苦の解決方法の究極は?

それは、気づいて手放していくこと、それに尽きるようです

 

滅苦がゴールで楽になること

ある日突然悟るわけではなく、段々と苦しみが消えていく、苦しみの大きさが小さくなる、時間が短くなるそうやってなくなっていくものだそうです

 

心が変化していく条件は、

・良き縁に触れていく

・ただブッダの話しを聴く

・規則正しい生活

 

この3つだそうです

 

座禅は、どこで組むかも大事ですが、誰と組むかがもっと大事だそうです

最近、ビジネスでも、何を買うかより誰から買うかが大事とよく言われますが、同じこと

つまり「人」なんですね

 

日本にMindfullnessという言葉が入って来た時「集中」という風に誤解されてしまいましたが、本当は「気づき」が正しい感覚だそうです

気づきの実践を繰り返していると間に合うようになる、それが「あるまま」だそうです

 

お二人がおっしゃいました

「からだと言葉を整えると心も調う」

 

今のスピリチュアルや自己啓発は、心ばかりを取り上げがちですが、まずはからだなのです

そして、「言葉」ということも教えていただいたのが私には一番大きかったかもしれません

 

私たちは、やっていれば心配する必要のないことに思い煩いがちです

やっていれば心配する必要はない!

つまりすべて因果であること、原因に向き合うことを忘れてしまいます

 

例えば、対策していなくて花に虫がついたらどうしようと心配する、それなら悩むより対策しろということ

 

最後にプラユキ先生はおっしゃいました!

「いつやるの? 今でしょ!」

お後がよろしいようで…

 

 

 

 

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